守山高 → 近畿大 → 日本IBM野洲 → 中山硬式野球クラブ → アトランタ・ブレーブス(マイナー) → 福岡ソフトバンク

近畿大学卒業後、社会人野球を経て、MLBアトランタ・ブレーブスとマイナー契約。02年、3Aリッチモンドで活躍し、03年にドラフト8位で福岡ダイエーホークス入団。29歳でのプロ入りとあって、27歳で入団した三瀬幸司投手と共にオールドルーキーとして注目を集める。06年、先発やロングリリーバーとして活躍し、自己最多の22試合に登板、防御率1.88をマーク。現役引退後は、社会人クラブチーム・OBC高島に入部し、選手兼任コーチとして、同年の全日本クラブ野球選手権大会ベスト4進出・社会人野球日本選手権大会の初出場に貢献。現在は、ストレッチスタジオを経営しながら、野球塾の指導者としても活躍中。
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大学、社会人、クラブチームを経て、アメリカのマイナーリーグと独立リーグでプレーした竹岡和宏さん。帰国後、福岡ダイエーホークスにドラフト8位で入団。29歳でのプロ入りは注目を集め、オールドルーキーと呼ばれました。小学校から高校まで地元で野球を続け、日米で様々なチームを経験してプロ野球選手になった竹岡さんの野球人生についてお聞きしました。

野球と外遊びばかりしていた少年時代
小学校低学年の時、友達から誘われてサッカーを始めたものの、それほど熱中をすることはありませんでした。私が住んでいた関西では、新聞、テレビのスポーツニュースはいつも阪神。そして父が野球、母がソフトボールをやっていたこともあり、野球をやりたい気持ちが強くなっていきました。「やり始めたことはすぐに辞めてはいけない」と父に言われていたので、1年間はサッカーを続け、小学3年生の時に小学校の野球チームに入りました。そのチームは平日練習があり、行ける人が集まるという雰囲気でしたが、気づけば毎日休まず行っていました。5年生からレギュラーになり、内野手として試合に出ていました。野球をしている時以外は、ずっと外で遊んでいましたし、家にいるのはご飯を食べる時と寝る時だけという毎日でした。

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野菜とお米が丈夫な体を作る
食事の面では、実家が農家だったので、いつも新鮮な野菜が食卓に並んでいました。我が家の食事は「野菜と魚を毎日たくさん食べて、肉は週に1度」という献立でした。小学生の頃から毎日、母がご飯を1升炊いてくれて、私はその半分の5合を食べていました。有難いことに野菜とお米を思う存分食べていたので、体が大きくなったのだと思います。野球をしている子どもたちには、たくさん食べるようにと言いたいところですが、時代も違いますし、それぞれの環境もありますから私の子どもの頃と同じようにとはいかないでしょうね。でも体を作るためには、できる限り野菜とお米をたくさん食べてほしいと思います。

野球を上達させる秘訣
子どもの頃、両親は忙しかったのですが、試合は観に来てくれました。父親は、試合を観に行けなかった時に「今日はどうだった?」といつも聞いてくれたので、気にしてくれていたのだと思います。ただ、両親から野球を教えてもらったという記憶はありません。両親からのアドバイスが無かったおかげで、私は自分であれこれ考えるのが好きになり、「次にこうしたら、上手くいくかな」と想像をして、実際、練習や試合でやってみるということを繰り返していました。自分で考えて工夫したことが、きちんと上達につながっていました。


自分に合うものを見つけ出すことが大事
器具を使った筋トレは、高校生の時にコーチにすすめられて始めました。自分で本を読んで、どのようなトレーニングがよいかを研究したりもしました。いつから始めるのがよいかということは、本人がやってみようと思った時がいいのではないでしょうか。興味が無いことを無理やりしても続きませんし、身になりませんから。それから高校の時、監督から「無駄をたくさんやれ!」と言われました。いろいろなことを試さないと、自分にとって何がよいか、何が必要なのか分からないという意味です。何事もやってみないことには分からない。やってみた上で、取捨選択をして一番合ったものをみつけることができれば、一生懸命できると思います。今の時代、インターネットを見ると膨大な情報が溢れています。情報が多くなった分、取捨選択も難しくなってきているでしょう。その中で自分に合うものを選別するには、「結果を出すために何が必要か」を念頭に置くことが重要です。

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ハングリー精神がプロ野球選手への道を開いた
小学生の頃、プロ野球選手は憧れの存在でした。しかし高校の時に「野球を30歳まで続ける」と宣言してからは、プロ野球選手になるという気持ちが強くなっていきました。大学では、同じチームや同じリーグの選手がプロ野球選手になっていくのを見て「自分は野球のエリートでは無いけど、田舎から出てきて野球をするために自力で大学にも入った。ここで負けたくない」と思いました。大学1年生の時、同学年が25人ほどいて、みんなは高校時代に練習試合や甲子園で対戦していたので顔見知りだったのですが、私は無名校だったため誰も知りませんでした。その時、とても屈辱的な思いをし、「花を咲かせずに帰るわけにはいかない」と強く思い、その気持ちがプロ野球選手になる原動力になったのを覚えています。

そして実際プロ野球選手になれたのは、体が大きかったことと、好きな野球を「やり続けたこと」だと思います。世間一般的には、20代半ばにもなれば、どこかで野球を諦めて、きちんとした仕事に就かなくてはいけないと思うでしょう。でも、私を含め野球をやっている者にとっては、それ以上にプロ野球選手になりたい気持ちが強いのです。ハングリー精神を持って、諦めずにチャンスをつかみにいったことが道を切り開いたと思います。やり続ければ、チャンスは巡ってきますから。

夢を叶えるためには、自ら決めた道を突き進む
チャンスは待っているだけではなく、自分で道を切り開いていくという強い気持ちが必要ですが、自分一人だけの力では成り立たないのも事実です。私は、多くのすばらしい出会いに恵まれたので、アメリカと日本でプロ野球選手としてプレーすることができました。出会いに恵まれ、人に恵まれたことは、野球が私に与えてくれたもの。そう思うと、野球をやってきて本当によかったと思います。しかし、思うように実力が発揮できず焦ったり、本当はもっとできるはずなのに認めてもらえず悔しい思いをしたり、壁にぶつかったりすることもあるでしょう。そんなときは腐って諦めてしまうのではなく、自分の進むべき道を再確認してほしいと思います。自分が決めたこと、自分がよいと思ったことは一生懸命できるし後悔しません。いろいろな出会いを大切にし、その上で自分で決めた道を突き進めば、きっと夢を叶えることができるはずです。


【取材・文】金木有香
【運営】ベースボールコミュニケーション(BBC)